イタリア-ミラノ在住のフリーライター "佐武 辰之佑"のブログ
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プロフィール

佐武 辰之佑(さたけ たつのすけ)

Author:佐武 辰之佑(さたけ たつのすけ)
1976年生まれ。富山県高岡市出身。小説家、フリーライター、フォトグラファー。
大学卒業後、各国を放浪しながら執筆活動を続ける。オーストラリアをバイクで4万キロの旅をし、その後アジア、ヨーロッパを回る。2007年よりミラノ在住。イタリア・ミラノのガイド・観光情報サイト「アーモミラノ」責任者。取材、コーディネート、通訳兼アテンドなども承っています。

公式HP
アーモミラノ(ミラノ情報サイト)
本ブログ、サイトともフリーリンクです。



E-mail:tatsunon314159@yahoo.co.jp
twitter:@tatsupao



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フランシスコ・デ・ゴヤの絵を模写する老婆
STK_9292 - Copia
 ブログ頻繁に更新をすると言っておきながら、三日坊主だと言われるのがしゃくなのでたまにはエッセイを書いてみようと思います。

 ミラノでは年末年始ごろからかなり風邪が流行っていて、自分は大丈夫だったと気を許した途端、どこかに溜まったガスが音をたてて卵から生まれ出るように熱をだして数日寝込んでいました。
 というのは、単なる言い訳。
 
 上の写真は「フランシスコ・デ・ゴヤの絵を模写する老婆」です。
「温故知新」という言葉がありますが、、コピーをすることによって何か新しい発見をする。それも切り取り、貼り付け、ではなく本物が作った同じやり方で正確に模写することに意味がある。自分が忘れていた何か、欠けている何かに、気が付くということ。
 他の動物にできなくて、人間に許された行為のひとつに「祈り」というものがある。それを神聖なものと捉えることも可能だし、それが人という動物に与えられた崇高さかもしれない。
 高い高い山の頂上をいくら眺めていたところで、いつか頂上にたどり着くわけではない。足元をじっと見て、現状に汚れた足をコツコツ踏み出すしかない。
 自らを鏡のように透明にして、反射する世界を盗み取る。それを支えるのは月並みな「好奇心」と呼ばれるもので、せっかく模写するのなら、まずはそれがいかに素晴らしいものなのかを認識するのが先決なのかもしれない。しかしそんなことを考えていてもいつまで経ってもオリジナルになれないというジレンマを抱えることになる。
 でも気が付いたらこの写真の老婆のように、誰かがそれを見ているかもしれない。オリジナルとは自分がなるものではなく、他人が認める自分なのだ。結局人間とはコピーの継ぎはぎされた集合であり、この模写という影絵遊びはずっと続くのかもしれない。
 寒い冬の光のなか、まだ熱にぼんやりした頭でそんなことを考えた。

ラテン系
 この間フランクフルトから戻るときに空港行きのバス乗り場で2人のスペイン人女性と知り合った。
格安航空専門の飛行場行きだったためかバスの便数が少なく、次の空港行きのバスは2時間も後とのことだった。スペイン人の二人は次のバスで空港へ向かうとゲートが閉まる10分前に空港に着くとのことで、3人でタクシーを拾おうとしたが200ユーロ以上かかるとのことで断念。おそらく乗り遅れる飛行機へ向かうバスの車内でスペイン人の女性は何がそんなに面白いのだろうというぐらい二人でバカ笑いしていた。

 今週ミラノの中心地を歩いていたら路上でいかにも楽しそうな一団に遭遇。10人ぐらいの管楽器グループとそれに囲まれるようにして踊り狂っている人々。クリスマス前ということで盛り上がっているのかと思ったら、ミラノの公共交通機関の会社に勤める人達らしく、来年は仕事の契約が打ち切られるとのことでオフィスの前で抗議の盛り上がりパーティ。
 人には生まれ持った気質というものがあるのでしょうけど、僕はイタリアに住み始めて9年目になりますが自宅のトイレットペーパーは質を落としたくないと考える性格で日本人ぽさが抜けず、未だに折に触れてこうしたラテン系のポジティブな勢いはすごいもんだと感心します。

雪と故郷

 この冬3度目となる雪がロンバルディア平原に降り注いだ今日、雪の中を歩いてみた。近所のおばさんが「雪は綺麗にしてくれるから」というのを聞いて、へぇ、イタリアでもそうゆう考え方があるのだと思った。

 雪の中を歩きながら、まるで体のどこかに隠れていた記憶が降り落ちてくるように故郷のことを思った。忘れていた思い出が雪の中に舞い、そして懐かしい荒々しい冬の海のことを想った。雪は日常を一変してドラマチックにし、自分の軸のような部分をぎゅっと引き締めてくれるような気がする。雪の降る世界は美しく、僕の生まれた場所からどんなに遠く離れていても、静かに雪の降り積もる音を聞いていると懐かしい友人と話をしているような親密さを感じることができた。

 僕は駅の歩道橋まで歩いていって、電車の写真を撮ろうと思ってカメラを構えた。レンズの向こうにはどこか故郷を感じさせる殺伐した駅が真っ白な世界の中に浮かんでいた。しばらく待っても電車はなかなかやってこなくて、濡れた足先の感覚がなくなっていった。

 記憶の奥にある雪にはいろんな名前が付いていて、それぞれに情緒のある含みのある音を立てた。目の前にある単調な雪は地表を覆うだけで深く大地を凍らせはしないだろう。そんなことを考えているうちに電車の音が近づいてきて僕はシャッターを押した。ちょっとだけ降った雪は、その雪の量の分の懐かしさを僕に感じさせてくれた。
 そういえば、長いこと日本に戻ってないなあと思った雪の一日だった。
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ある年のクリスマスプレゼント
 あれは20世紀最後の1999年のこと、僕はオーストラリアの砂漠のど真ん中にいた。日中は40度を超え、目の前に広がるのは数万年前から変わらない赤茶色の砂漠。僕は知り合った2人の日本人と一緒にミレニアムをエアーズロックで迎えようと、バイクを走らせていた。
 ウーダナダッタという未舗装の道を走り、砂と汗まみれになってひたすらアクセルを回し続けた日々。今にして思うと一体なぜあんなことをしたかったのだろう。その道を走破したところで誰かに褒められるわけでも、何か記念品がもらえるわけでもなかった。一日400キロのダート道。突然大きな穴が目の前に現れてバイクが宙を舞い、吹っ飛んでしまうこともあった。クソ暑いのに長袖を着て、ハードブーツまで履いていた。それでもその時にはそうしていることに生きている実感というものをありありと感じられたし、今まで知らなかった世界というものに文字通り突入することで、世界というものが広がっているように思っていた。
 今でもこの日に関して覚えていることがある。小さな町でガソリンを補給した時のこと、ガソリンスタンドの近くに住んでいた原住民(アボリジ二)のおじさんが酔っ払って家から出てきた。強烈な太陽に焼かれてこげ茶色の肌をした中年のおじさんは薄汚い格好をして、砂にまみれたさらに薄汚い格好をした3人のライダーを興味の目でじろじろと眺めた。おじさんは手にキラキラと緑に光るBPの缶ビールを持っていて、クリスマスなんだからお前らも飲めよ、といって僕らにも一本ずつ缶ビールをくれた。ビールどころか、冷たいものも数日飲んでいなかった僕はそれをほとんど一息で飲み干した。
僕たちは夕方になるとバイクを止め、適当なところでキャンプをした。夜になるとカンガルーがバイクに飛び込んでくることもあるので、基本的には夜のオーストラリアは走れない。砂漠のど真ん中ということもあって、400キロ走ったところですれ違う車は1台か2台ぐらいのものだったからどこでテントを張ったところで誰の迷惑にもならなかった。
 僕らはテントを張り、ガスバーナーで料理をはじめ、毎日の習慣のようにキャンプファイアをした。火を眺め、暖められ、燃え上がる炎が発する心地よい音を聞く。それが一日の終わりの儀式で、日が沈んでしまうと地平線に取り囲まれていた僕らの頭上には天の川がくっきりと見える満天の星空が広がった。広大な宇宙の下では我々の目の前にある炎は何の目印にもならないような小さな生命の灯でしかなかった。その灯を囲んでまるで吟遊詩人たちのようにいろんな話をした、映画や音楽の話、恋人や家族の話、それぞれの街の話。
 ふいに誰かが叫んだ、なんだあれ、と。見ると地平線の彼方に眩く光るものが見えた。最初はUFOだ、UFOだ、俺たち襲われるぞ、と言って騒いでいたが、助けを呼べる人が周りにいるわけでもなく、誰も携帯電話を持っていなかった。
 地平線から顔を出した光源が月であるということを理解したとき、我々はみんな息を呑んだ。月はゆっくりとその姿を宇宙の中に表し始め、煌々とした砂漠を優しい光で照らし始めた。それはまるで宇宙が始まった時を告げるかのように幻想的で、今までの遭遇したどんなものよりも神秘的な風景だった。


7年目のミラノ生活について
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 この間新事業である日本からのモデルの斡旋会社のコーディネート、サブ・フォトグラファーとして仕事をさせてもらった。日本からモデルやメイク、パリからもヘアなどが来て、レンタルスタジオでの本格的な撮影となった。
 この事業は西尾聖子さんという方が中心に立ち上げてられるもので、パリやニューヨークにもモデル達の橋渡し的な事業を展開してゆくとのこと。

 ミラノやパリに住みクリエイティブな仕事をしているというと華々しくて、魅力的で、面白い人生と聞こえるかもしれない。でも、人にもよるのだろうけど僕の場合は実際はそういうわけでもないと思う。人は帰ることのできる場所があれば、別の場所を訪問地として、ある限定された世界の享楽に酔うことができる。
経験という蜜を吸い、現実が夢を浸食してしまう前にその回帰する場所へ戻るという安心感。しかし海外という非現実が夏の夕暮れのようにゆっくりとその影を伸ばし始める時、実体はその闇のなかに一旦は隠れてしまう。
 元々闇を見据える覚悟がある人間はその闇の中からさらなる光のさす方向へ進んでゆこうと努力することになるが、元々自分の出発点のない人間はどこへも辿りつけない。ある意味では影も闇も意識することができず、亡霊のように救われない魂を引きずり続けるしかない。

 要するに満足感とか、納得できる日々という当たり前の感覚にどこでもなってしまう。骨の休まる温泉もなければ、心底ほっとするようなふるさとの味、ボーナスなどときどきの贅沢ということもない。
 海外生活を長く続けてゆくということは、一度かじって捨てた骨をもう一度拾ってきて、さらにしゃぶりつくぐらいの諦めの悪さが必要になる場合もある。

 それでもある程度自分のやりたいことを続けられる環境にいて、好奇心さえあれば学ぶものは身の周りにあるという暮らし。何に価値基準を求め、どうゆう暮らしをしたいかというイメージを持てること。イメージに近づくためにイメージを重ね、イメージを持ち続けるということ。
 
 まあ、ぼちぼちとそうゆう感じでやっています。
 

テーマ:イタリア - ジャンル:海外情報